ナンパにより物事の真理を探究する

ナンパについて思うところを語っています。基本的には自分の行動の振り返り用として書いていますが、参考になる点があれば幸いです。

ナンパに関して感じていた(余計な)危惧感に対する結論

ナンパを始めてから約3年が経過したが、その間に感じ続けていたある障害に対して、ようやく結論を出すことができた。
私は、ナンパに関して、とある危惧感を感じていた。
それは、女の子を傷つけることに繋がらないだろうか、という危惧感である。
 
一般の人から見れば、もしかしたらナンパは単なる迷惑行為であって、すべきことではないという意見の方が多いのではないだろうか。
もちろん、いきなり腕を掴んだり、道を遮ったり、しつこく付きまとったりすることは、迷惑行為であり、すべきではない。
ただ、私は、ナンパそれ自体は、街で見知らぬ人に声をかけること自体は、迷惑行為であるとは思わない。
普段の日常生活で出会いがない人が、自ら出会いを作りだすこと自体は許されてしかるべきであろう。
また、声を掛けられた女の子も、もし気に入らなければ、すぐに断ればいいだけの話だ。
負担は著しく少ない。
 
そうではなくて、私がずっと考え続けてきたのは、ナンパを通じて、セックスしてしまった後に起こりうる女の子の恋愛感情の対処だ。
私の個人的な願望は、複数の女の子を知りたいということなので、必然的に、1人の子と長期的な関係を築くことを予定していない。
もし、女の子が私に恋愛感情を抱いてしまったら、私はその期待に応えることはできない。
ゆえに、女の子を傷つけてしまうのではないか、という危惧感を感じ続けてきた。
今改めて考えると、かなり傲慢な話ではあるが、ナンパを始めた当初からそのようなことを考えていた。
確か、3年前にモリマンディレイさんの講習を受けたときも、レイさんに「即ったあとは、どうするんですか?大丈夫なんですか?」というニュアンスの質問をした記憶がある(レイさんからは「即ってもいないのに、質問が的外れ。」と怒られた。)。
 
このような危惧感を抱いていた私であるが、それが少しだけ緩和されたことがあった。
それは、「女の子も性欲があり、ワンナイトの関係を望んでいる場合もある」ということを知ったときだ。
このことを明確に認識するようになったのが、1年半くらい前だと思う。
ツイッター上で、レイコとまゆみさんという方が、「女の子にも性欲があるからね」というツイートをしていたのがきっかけだったと思う。
ナンパをしている人なら当たり前の認識だと思うが、私は当初の考えに固執していて、なかなか気づかなかった。
このように、ワンナイトの関係を望んでいる女の子がいるのであれば、そういう子をターゲットにすれば良い。
そういう子を探しあてよう。そのように考えを少し改めるに至った。
とはいえ、現実には、そうではない子もいるし、そもそも中々判別できないということが、まだ私を躊躇させていた。
ワンナイトの関係を望んでいる女の子が多いであろうクラブでの活動を中心としたが、クラブに来ていたとしても、少なくとも外見上は、どちらに属するのか判別できないため、まだ抵抗感や障害を感じていた。
このことが、女の子とアポした際に、いい感じになりながらも、私の家へ行くことの打診を躊躇(過去ブログ参照)させていた理由の一つなのではないかと思う。
 
このような迷いを感じながらナンパし続けてきた訳であるが、最近、ようやく、ある一定の結論に辿りつくことができた。
時間が掛かり過ぎていて、本当に情けない話である。
それは、「『ワンナイトの関係を望んでいる女の子』か否か、という区別を設けるべきではない」ということである。
言い換えると、私の方で、相手の感情を一方的に決めつけるべきではないということだ。
相手の感情は私の方で完全に把握することはできないのであるから、それを決めつけることは傲慢なことだ。
相手の感情は関係なく、自分がどうするかということだ。
もし、相手の女の子が当初はワンナイトの関係を望んでいなかったとしても、ワンナイトの良さを説いた上で最終的に共感してくれるのであれば、それはそれで良いのではないか。
ワンナイトは、通常であれば、知り合ってから、デートを重ねて、告白して、交際の承諾を得てから、体の関係に至るところ、その過程を一気に省略して、一気に親密な関係を築くことができる。
ワンナイトによって、男の良いところ、悪いところ、男による差異等を知ることができるということは、人生を豊かにさえする可能性も秘めているのではないだろうか。
ともかく、最終的にお互い楽しめればよいのではないか。
このように考えを改めてくれる女の子もいるだろう。
 
私は相手に依存し過ぎてきた。主体性が欠如していたと言わざるを得ない。
相手の表面的な主張がその人の最終的な欲望だと決めつけて、その表面的な主張に身を任せていたのである。
なんとも情けない話である。これは本当のやさしさではない。
 
もちろん、女の子を傷つけないように、出来る限りの配慮はすべきだ。
また、女の子が出来るだけ、楽しむことが出来るように努力すべきだ。
ただ、最大限度の努力の結果、それが異なったものであったとしても、やむを得ないと言うべきだろう。
それは私のマターではない。
私がすべきことは、最大限の配慮と努力だ。
 
ともかく、これで障害がなくなったように思う。
ようやく全力を尽くせる。