ナンパにより物事の真理を探究する

ナンパについて思うところを語っています。基本的には自分の行動の振り返り用として書いていますが、参考になる点があれば幸いです。

即られた話

「即られた」というのは、ナンパ用語では、その日のうちに持ち帰られ、即日セ〇クス至ってしまったことである。

厳密には、その日ではなく、その次の日に会ったときにセ〇クスすることを「準則」というので、「準即られた」、ということになるのかもしれない。

 

先日、海外の旅行先で出会った女の子と東京で会うことになった。

彼女は東京から、かなり離れたところに住んでいる。

旅行先で出会ったときは、一期一会になるんじゃないかと思っていたが、

帰国後もやりとりを重ね、再会することになった。

 

彼女とは、旅行先では何もなかった。

今思えば、その時にセ〇クスすることも可能であったように思うが、

一緒にいた友人らを気にして、結局、誘いもせずに終わった。

 

彼女は、まじめに就職しており、容姿も端麗な方であった。

少なくとも、今まで私がセ〇クスした女性の中では、上位にランクインする。

 

今回の再会は、彼女からのアプローチにより実現することになった。

私からは一切誘っていない。

正直、彼女が何を考えているのかよくわからなかった。

単に東京を旅行したいだけなのだろうか。

単に友達として私に会いたいだけなのだろうか。

もし、昔の私なら、そのように考えて、そのように対応しただろう。

しかし、今はナンパというものを知ってしまった。

出会ってから時間が経過していなくても、セ〇クスに至ることはあり得るということを。

時間の経過は、問題ではないということを。

 

結局、最終的には彼女とセ〇クスをすることになった。

彼女のアプローチ方法はこうだ。

彼女は、あらかじめ宿泊場所を確保しておらず、当日になって決める言っていた。

そこへ、私が、「それなら私の家に泊まっていいよ」という梯子をかける。

いや、梯子をかけさせられたのかもしれない。

結局、東京を観光した後、食事をし、私の家に来ることになった。

家に来る直前に寄ったコンビニで、彼女はあまり酒が飲めないにもかかわらず、酒を買い、(暗に)私にも酒を買うよう促した。

もしそのような行為に至ったとしても酒のせいにしよう、という思いではないだろうか。

そのように勘ぐってしまった。

 

彼女をビッチと呼ぶ人もいるかもしれない。

彼女は例外的な人間で、普通はそんなことをしないと。

私の個人的な意見を述べるとすれば、彼女はごく普通の女の子だと思う。

海外の旅行先では、一緒にクラブ(ディスコ)に行ったのであるが、ナンパは断っており、全く相手にしていなかった。

また、彼女は下ネタには一切反応しないし、自ら下ネタ的な発言をすることもなかった。

性に関しては奥手のように思えた。

それでも、上記のような結果に至ることもあるということである。

これが現実の一側面なのではないだろうか。

 

ところで、彼女は一夜限りの関係で満足だったのだろうか。

私と彼女は、今後、そう簡単には会えない。

単に、性欲解消のためだったのだろうか。それとも、その先に何かを求めていたのであろうか。

私は彼女を満足させられたのだろうか。

今でも時々考える。